ここに一人の男がいる。
この男は、父親が作った会社を継いで経営者となった。
飲食店経営である。
飲食店で働くのは嫌いではなかった。
中学や高校生の頃はよく手伝いをして、小遣い稼ぎをしたりしていた。
活気ある雰囲気や、楽しくお酒を飲んでいる姿、そして店で働いている従業員さんに可愛がられたという楽しい思い出もある。
しかし、それを一生の仕事にしようとは思っていなかった。
自分にはもっと可能性がある!と思っていたからだ。
そうして高校を出た時に、なぜか写真家を目指して写真の専門学校に行く。
その男はアーティストになりたい志向があった。
カメラマンではなくて写真作家に憧れていた。
だから写真の専門学校を出てからは、働くでもなく写真を撮ってフラフラしていたが、さすがに、「これではいかん!」と写真スタジオに入りアシスタントの仕事をしていたが、どうにも楽しくない。
アシスタントの仕事が楽しくないというか、写真を撮る事に情熱が持てない。
簡単にいえばツマラナイからやめたのである。
そうして写真の仕事を辞めて父親が作った会社に入るのであった。
では飲食業界に興味があったのか?
もちろん全然ない。
ただ子供の頃から手伝いをしたりして慣れ親しんでいたし、いい思い出もある。
それにせっかくお店もあり、それなりに繁盛していて給料もアシスタント時代よりたくさんもらえる。
そんな動機で入社をしたのであった。
入社した当時は楽しく働けた。
新しい仕事を覚えのも楽しかった。
父親も健在だったので経営のことなんか考えないでよかった。
目の前のことをやっているだけで良かった。
毎日お店を開ける準備をして、営業をして、閉店して帰ってビール飲んで寝るという生活を送っていた。
そうゆう毎日を送っていたが、ある日父親が病気で倒れてしまい、長期入院をすることになる。
その時から、その男はただの従業員から管理職になったのだ。
管理職として見るお店と従業員としてと見るお店は全然違ってみえた。
従業員の頃は、会社の財務など内部事情はまったくわからなかったし興味もなかった。
父親(社長)が全部うまくやっているのだろうと思っていたからだ。
だが蓋を開けてみたら上手く行っているどころか酷い状況である。
とにかくお金がない!
幸いにも借金はなかったが、現金もなかったのである。
どれくらいなかったか具体的にいうと。
お店を運営していくためには毎月必ず出ていく費用がある。
家賃であるとか水道光熱費、従業員の給料など。
その毎月出ていく費用の1/3くらいしか現金がないのである。
例えば月々運営していくのに600万円必要であるとする。
なのに手持ちの現金が200万円しかないのである。
だから何がなんでも営業をして現金を稼がなくてはいけない。
現金に余裕がないから、営業を休んだら現金が入ってこないこない。現金が入ってこなければ給料は払えない、家賃はは払えない、水道光熱費も払えない。
何も払えない。
すなわち倒産とういうことである。
会社は決算書が赤字でも倒産はしない、現金がなくなった時に倒産するのである。
それを理屈ではなくて肌で勉強した。
そして従業員たちとの関係にも悩んだ。
従業員達は、父親が雇った人達である。
会社の創業社長というのはカリスマ性を持っている。
小さなところから初めて段々と大きくしていったので強さも持っている。
「喰うためならなんでもする!」という精神か。
猿山のボスなのである。
がしかしその男は、ボス猿を実力で蹴落としてボス猿になった訳ではない。
それどころか本人もボス猿になったつもりもない。
本人は、ボス猿不在の猿山の秩序を守るために自分は役目を任命されたと思っている。
いつボスが帰ってくるかは不明。
ボス猿はというと自分は引退した気になっていた。
「もう自分は現役ではないので、ボスやってね」と丸投げしてきたのである。
男は困り果てた。
どうやったらこの猿山をまとめていけるのだろうか。
売上を上げていかないと、猿山は潰れてしまう。
必死になって売上を上げようとする。
しかし猿どもは、明らかに実力でボスの座を手に入れていない猿を認めていない。
管理猿が何を言ってやがる!ってなもんである。
この猿山の事は自分達の方がよく知っているんだ!
なんで別の猿山から来た、若造のいう事を聞かねばならないんだ!と思っていたのかもしれない。
ではそういう猿たちとどうやって付き合っていったらいいのだろうか。
「相手の立場になって考えてみよう」なんて管理猿はそんな事を考える余裕も人間的な幅もなかった。
圧倒的に社会経験が足りない猿であった。
その上、管理猿は「自分はボスから猿山の管理を任されたのだ。だからお前達は自分のいう事をきくのが当然である」と思っていた。
そしてその猿の目に映っていた猿山は問題だらけの猿山に見えた。
お金はないから稼がなくてはならない。
でも猿どもはそんな事はお構いなしに適当に仕事をしている。
(その男には適当に仕事をしているように見えた)
だからいう事も批判的な事ばかり。
ここが悪い、あそこが悪い。
管理職猿は、自分が決めて猿山に入れて貰ったくせに、それを忘れていつの間にか被害者意識を持つようになる。
「どいつもこいつも馬鹿ばっかり!俺が正しくてお前らが全部悪い!」
誰がそんな若造のいう事を聞くのだろうか。
みんな表面上はボスの息子だから言う事を聞くふりをしているだけである。
そんな組織がうまく回るわけがない。
そうこうしているうちに、山あり谷ありであったが、何とかお店を管理して15年の月日がたった。
その頃には父親から代表権も移っていて、名実ともに社長になっていた。
それでも「なんか上手くいたないー、なんでこんなに自分の心はモヤモヤしているのだろか」と相変わらず悩んでいた。
そうして男は社長として経営を勉強しようと思いたち、ある経営塾に通い出した。
その経営塾で教えている事は、社員管理や売上向上など、とにかく経営全般なにをしていいのかがわからない男にとって、とにかく新鮮で理想的に見えた。
その塾で教えられた事を、社内にどんどん取り入れていった。
「これでうちの会社は大丈夫だ。自分ももっと楽になれる」と信じて。
男は6年間、その塾のやり方にズッポリとはまった。
社員からの反発もたくさんあったが、これをやり通せば絶対によくなるはずだ。
会社がよくなって社員にとっても、いい事であるに違いないと思い込んでいた。
社員の為にとか口では言っているが、中身は15年前と同じで全く変わっていない。
「どいつもこいつも馬鹿ばっかり!自分が正しくてお前らが変わる必要があるんだ」である。
そんな気持ちでやっていて上手くいくはずがない。
しかし、その6年間にいい事もあった。
お客さんに対するあるサービスをきっかけに売上がどんどん伸びていったのである。
過去最高売上を達成するまでになる。
まだまだ財務的には余裕はなかったが、数字的には超繁盛店であると胸を張っていえるくらいの利益を上げるようになった。
しかし男の心のモヤモヤは晴れる事がなかった。
「売上さえ上がれば、自分の心のモヤモヤは晴れて楽になるに違いない」と思ってやってきたのにちっとも晴れないのである。
晴れないどころか、毎日生きているのがツラくてツラくてしょうがない。
「経営をしていてまったく楽しくないし、楽しくないどころかお金の事、将来の事、社員の事など何もかにも不安でしょうがない」
「死んでしまいたい。いや死ぬ事は出来ない、いっそこのまま消えてなくなってしまいたい」といつも考えていた。
男はこの心の不安から逃れたい、なんとかしたいと思い心の勉強を始める事にした。
心の勉強をする事で色々な事を学んだ。
そうこうしているうちに、コロナウィルスが世界的に流行した。
世界が変わってしまった。
いままでのやり方が通用しなくなった。
男が経営する居酒屋業界はとくに深刻であった。
まともに営業が出来なくなった。
コロナ前までは、ずっと右肩上がりの売上だった。
それがここにきて急に営業が出来ない。
営業が出来ないという事は売上がゼロである。
男はパニックになった。
お店の財務状況は25年前に比べれば遥かにいい状態である。
男は財務の勉強をして数字にもかなり強くなっていた。
がしかし営業をしないで何ヶ月も大丈夫なほど潤沢に資金を持っていたわけではない。
しかもこの状況がいつまで続くかもわからない。
男は銀行が貸してくれる上限までお金を借りて現金をかき集めた。
経営するお店の年商に匹敵するくらいの額だ。
資金を集めたので、すぐに倒産することはない。
がしかしあくまでも借金である。
いつかは返さなければならない。
男は必死になって売上を上げることを色々と考えた。
社員に協力も求めた。
がしかしここでも上手くいかない。
社員は自分が思った通りに協力してくれない。
25年間一生懸命にやってきたつもりだったが、何も状況は変わっていなかったのだ。
男は相変わらず被害者意識を持って経営をしていたのである。
男は考えた。
どうすればいいのだろか。
その頃男はコンサルタントを新規事業として始めようとしていたし、男の奥さんが東京での暮らしに嫌気がさして地方に移住をしたいと言い出していた。
いっそお店の経営を諦めてお店を売ってしまい、自分は違う道を進もうかとも考えた。
実際にお付き合いをしている会計事務所に依頼して会社を売りに出したりもした。
しかし男は、キッパリと決められる性格ではない。
25年間も経営してきたお店である。
色々と苦労をしてきたが、社員にもお店にも愛着はある。
男は色々と考えた。
この状況はどういうことなのだろか。
自分は何をすればいいのだろうか。
お店の経営はどうすればいいのか。
社員とのコミュニケーションはどうすればいいのか。
そうしてある考えに行き着いた。
「自分は楽になりたい楽になりたいと思い勉強をしてきた。それは自分以外の何者かになりたいという事でもあった。誰かに憧れて、あの人のようになりたい、この人のようになりたいと自分以外の人間になりたい」と思い自分を嫌い否定してきた。
男はそれまでは人生の意義を見つけたいとも思っていた。
生きるという事はどういう事なのだろう。
自分は何を使命としているのか。
自分は何をしたいのか。
それをみつけたいと思っていた。
自分のビジョンを見つければ、誰かの真似事ではなく、そこに情熱を持って突き進めると思っていた。
そしてビジョンは自分の外側にあるもだと思っていた。
そうしてそれは光輝く素晴らしいものだと自分の中でイメージしていたのだ。
でも男は気がついた。
「それはおかしいぞ。自分の使命なのに自分の外にある訳がない。
自分のやりたい事は自分のなかにある。でも自分は自分を否定して嫌っていた。自分には価値がなくて自分以外の何者かになろうとしていた。だから自分がやりたいと思った事を自己評価できなくなっていた。だから自分のやりたい事をみつけるには自分を大切にして自分を認めて上げる事である!」と気がついた。
長い道のりであった。
男は様々な本を読み、セミナーに参加していた。
そこでは同じような事を言っている。
「自分を知り、自分を大切にしなさい」と男は意味が全くわからなった。
でもようやくわかったのである。
「自分のことを自分で信じてあげなくては誰が信じてくれるのだ。自分のやりたい事だって自分だけのものである。誰かになる事でもなくて誰かに教えて貰うものでもない。自分がやりたいと思ったらそれが真実なのである」
「自分が一番心地よい事だけをしよう!」と決めたのであった。
そんな中ある一冊の本と出会った。
「ティール組織」という本である。
ここには従来型の組織とは違う組織の形が紹介されていた。
階級はなく組織員が自己管理をする組織である。
そしてこの本の中に「人生とは自分らしさを表現する行為である」と書かれていた。
男は、この本に感銘を受けて「自分が目指しているのはこれだ!」と思った。
こういう組織を自分でも作り、従来型の組織で疲弊している経営者や社員さんに新しい組織の形のお手本になりたい。
そうしてこの考えを広めていと思った。
いまその男がなにを考えているのか。
男はこう考えている。
「自分の心地よいことだけをしよう。自分が付き合っていて心地よい人とだけ一緒にいよう。でもそれは相手を変えることではない相手は関係ない。自分が心地よいように現実を変えようとしたらそれは元の木阿弥である。相手が変わらなければ、あいつが悪いこいつが悪いと言ってまた自分が被害者になってしまう。あくまで自分がどう生きるかである」
だから自分の人生の目的や使命は、「いかに人目や世間体を気にせずに、自分が心地よい生きかたをするか。人生とはいかに自分らしさを表現するかである」
このように思っている。
自分は自分のこれまで経験でこれを学んで発見する事ができた。
もちろん人生をかけてやる行為だから終わりはないだろうと思っている。
男はコンサルティングという行為に対してもこのように思っている。
自分がお店を継いだ時にお金のこと社員との関係で悩んできた。その結果学んだ事がたくさんある。その経験は経験そのものが価値だったのだ。
だからそれを同じようなに困っている人がいたら自分が学んできた事をシェアしよう。
経営者であればその人らしい心地よい経営が出来るきっかけにしてもらいたい。
そうしてそこで働く社員さんも心地よく働けるようになると良い。
その輪が広がれば世界はいまよりもっと良くなるかもしれない。
そのように思っている。